日々是、思ふ 其の肆拾肆

日々是、思ふ」は、オサーンがちょっと時計とは関係ないこと(時には関係あること)、思ったことを綴る時事的コラムです。基本的には私の屁理屈が多く、発信して自己満足するところです。

会社にお勤めの方は経験されているかもしれませんが、自分の部署や自分だけが時間に余裕があり、他の周りは忙しそうにしていると、自分もとりあえず “何か” をしているフリ、即ちパフォーマンスをすることがあります。正直言って、自分のすべきことを果たしていればそんなことをする必要もないのだが、”調和” をいうものを意識してしまうことの多い日本人には往々としてあることです。気持ちは凄くわかるし、その延長線上に思いやりがあるのかも知れません。ただ単に、ナマクラなのは私ぐらいです。

しかし、良かれと思って取っている行動が、結果、パフォーマンスになっていることも目にします。少し前の「日々是、思ふ 其の参拾玖」で、SDGs(エス・ディー・ジーズ)という話題に触れた。最近は、「サステナブル」とか、さも万人が知っているように使う人もいるが、SDGsとは、「持続可能な開発目標」という国連サミットで採択された貧困・性別・エネルギー・環境・教育など様々な、一過性ではなく持続していくことが大切な項目に対して高い目標を2015年~2030年の15年間で達成しようとする世界全体での取り組み(だいたいこんな感じのはず)。

ということは、この取り組みは持続しなければ全く意味がない。言うなれば、”単発” ではいけない。屁理屈のようだが、仮にこれらの目標が達成しても、そこから更に持続しなければ意味がない。

少し話の方向性を変えてしまうが、上の画像のバッジをご存じでしょうか。これはSDGsの17の目標を表したロゴマーク。銀行や航空会社、様々な企業で働く者が着けたりしているという。

ここで私は言いたい(給料カットでストレスが溜まっているので許してください)。

「これ着けてるヤツ、全世界で目標が達成されるか、期限の2030年までは最低限着け続けろよ!」

あ~、スッキリした。意思表示したなら、持続し続けないとダメだからね。

 

と、私は揚げ足をとるような、まさに性格がひねくれている。”SDGs週間” とか、本末転倒だと思っている。「持続することを “週” という期限切ってどうすんぢゃ、ゴラァ!」と思っている。あ~、性格悪い。自分でも嫌になる。でも気になって仕方がない。

「だって、面と向かって言えないチキンハートなんだから、僕!」

でも、この取り組みを世に広めることも大事だけど、実際に真剣に取り組んでいるかが大事なんだと思う。企業がイメージ戦略として、営業マンがトークのきっかけづくりとして、という本質から大きく外れたことに利用するのはどうなのか?実際、それが本当にイメージアップになるのか?キナ臭さを感じてしまう。心が汚れているからそう思ってしまうのかもしれない。

街でこのピンバッジを着けている人がいたら、僕はそう思っている。真剣に取り組んでいる人、すいません。