日々是、思ふ 其の肆拾

「日々是、思ふ」は、私、オサーンが少し感じた日常を、如何にもインテリっぽく表現し、少しでも株を上げようと必死なコラムです。時々毒づきますが、争いごとが大嫌いなので、普段は澄まし顔で生活しています。

給料カットという厳しい現実を突きつけられて、時計を買う余裕のないオサーンです。

私は大したことないのですが、職場に英語が堪能な職員が数名いる。彼らの語学力には脱帽どころか脱毛が進む(加齢が原因)。海外留学を経験し、しっかりとした現地の言葉をマスターしているようです。僕の適当なそれとは大違い。関心する。と言っても、英語を仕事で使うシチュエーションはほとんどない。なので、仕事をする上では困らない。そんな僕でも、ペラペラと話す彼らが使う英語がネイティブかそうでないかというのは、だいたいわかる。ただ、何をもってネイティブと定義するのかは、移民大国アメリカでは判断しづらい面もある。

少し私にとっては耳障りな出来事があって、先日、口出ししてしまったことがある。 “マウントを取る” という便利な言葉が最近は浸透している。簡単に言うと、「自分の知識や経験を元に優位性を他者に対して “強く” アピールすること」という意味だと私は理解している。そのマウントをとっている姿をみると、恥ずかしくなる。見ていられない。SNS上ではよくお見受けするが、赤の他人なので「あぁ、この人はそういう性分なんだなぁ。俺は恥ずかしくてそれはできないなぁ。」と思うに留まる。しかし知っている人が “マウントをとる側” の場面に出くわすと、口を挟んでしまう。

先日、そんな場面に出くわしてしまった。滅多とない英語を使う場面で、一生懸命なんとか英語で応対していた職員。よく頑張っていた。やっぱり気持ちが大事。僕もどっちかというと、気持ちだけ英語で、口から出るのは80%日本語だったりする。それを見ていた英語そこそこ堪能職員が後から、「〇〇さん、あの発音はちがうなぁ。」とか「そんな言い方、ネイティブはしないよ。」と言っていた。そう思ったのなら、その時に助太刀してやったらいいのに。その彼が単に、”こうした方がいい” というアドバイスをするなら、まだ私もスルーしていたが、完全にマウントを取る言い方だった。彼がネイティブなら文句は言えない(それでも言い方は気になる)が、彼の英語は綺麗だがネイティブではない。そのマウントを聞いている周りが変な空気になる。気まずい感じ。一生懸命、英語を使って相手に伝えていた職員が申し訳なさそうにしている。少なくとも相手には話が通じていた。彼がこれからこういった場面にもう一度立った時、絶対に物怖じしてしまうのが目に見えている。これは良くない。なので、さすがにこのマウント取太郎を呼んで、周りに誰もいないところで聞いてみた。すると、一つの物差しにしかならないが、TOEIC700点程度の能力だという。自信があることは良いことだが、私とそんなに変わらないレベルだし、高校生でも800点とっている時代。厚切りジェイソンやチャック・ウィルソンの日本語よりも遥かに低レベル。仮に彼らが他の外国人が話す日本語の発音をマウント気味に指摘したら、我々ネイティブの日本人は、「英語訛りが日本語の発音を偉そうに指摘すなよ。」と思う。だから「そういう指摘の仕方ではなく、『こんな言い方もある』と教えてあげた方が、これから多くの部下を付ける時に、回りまわって自分が得すると思うよ。」と言った。ちなみに、チャック・ウィルソンのことは、「それ、誰ですか?」って言っていた。

こう書くと、私が「良い奴ぶっている」と思われるかも知れない。でも僕の本心は、「少しでも気持ちよく仕事がしたい。」の一心。”このマウント取太郎を変えてやろう” とは思わない。というより、そんな偉そうな考えを持てない。上司の能力に、”人を伸ばす力” とかって言うけれど、少なくとも僕にはそんな能力はない。「褒めて伸ばす」や「叱って伸ばす」や「人を見極める」とか無理。「その時に、自分や周りがいかに気持ちよく仕事ができるか」が中心となっている。伸びる人は褒めても叱っても伸びるかも知れないし、褒め方や叱り方で伸びる人も伸びなかったりするかも知れない。ここに正解なんてないと思っています。だから、仕事がやりやすい環境を作ってあげることに努力をする。そうすると、周りは一生懸命成果を上げるし、僕も仕事をサボりやすくなる楽にできると思っている。しかし、もしかするとこんなマウントを取った言い方をされて伸びる人もいるのかも知れない。反骨精神か。難しい。自分を信じて判断するしかない。

ただマウント取太郎は見ているだけで恥ずかしくなるので、苦手です。