日々是、思ふ 其の参拾伍

「日々是、思ふ」は、オサーンが普段の生活で感じたことを、誇張して表現する場です。
今回、めっちゃ愚痴ります。不快に思われた方、すいません。

「『自分だけなら大丈夫』と思ってませんか?」という少し真面目な話です。これは大なり小なり(学校・会社・地域)、コミュニティと呼ばれるほぼ全てに発生する事象です。

適当に仕事をしてそうで、実は自分で言うのも何ですが、私は仕事に関しては誰にも負けないように努力をしている。もちろん結果は別ですが。

私の職場を例にあげると、「別に給料が上がるわけでもないから、仕事は必要最低限、昨日と同じ(内容)でいい」という考えで過ごしている輩が(先輩・後輩関わらず)少なからずいる。誰にも迷惑を掛けていないように思うが、でもそれではいけない。

「自分は手を抜いても、別に支障がない。」

とでもいいたいのか。確かにその程度の考えの奴なので支障がないように感じるのは確かである。でもそれでは社会的にダメなのだ。

わかりやすく身近な例でいうと、ゴミをポイ捨てする行為はどうか?幹線道路や高架下などによく空き缶などが捨ててある。タバコのポイ捨ても、やはりまだ見受けられる。これはれっきとした違法行為だ。でも大量な投棄でない限り、取り締まりなどはしないのが現状。いちいち取り締まるほどのことではないという認識。でも世の中がそれで成り立っているのはなぜか?

それは、大勢の人がルールを守っているからである。だからこそ、その小さなポイ捨てがそれほど問題にならない。国民全体がゴミを同じように捨てると収拾がつかなくなる。許してもらえるのは、守っている人がいるからだ。

最初の仕事の話だが、最近は “ミニマムに生きる” 的な考えが浸透してきている。「頑張らない生き方」というものだ。それを否定するつもりはない。「一生懸命働いて稼ぐよりも、心のゆとりを求める。」のは、良い生き方かもしれない。

でも知っておかなければならないことがある。それは、日本は資本主義国家ということだ。資本主義は、大なり小なり「成長していく」という理想を掲げている。現に、成長しているから一昔前には考えられなかったスマートフォンや薄型テレビ、高速データ通信などが可能となっている。日々成長して、その成長の傘の下にある日本で生きているのだ。2年前のスマートフォンを作っても、今は売れないという世の中なのだ。それでも会社が存続しているのは、数年前のものを作り続けているからだけではなく、新しい物を作り続けているからだ。これは日々、目に見えない1%、2%の成長をしている証だと思う。

最初の話に戻るが「昨日と同じ仕事でいい」は、実際のところマイナスに働くということだ。企業・社会はよりよくなるように成長を目指している。会社全体の成長率が2%なら、平均して一人一人が2%の成長を遂げないとダメということ。「昨日と同じことをしている成長率0%の人」の成長分を誰かが負担して引きあげている。それを分かっていないのだろう。

もちろん社会というのは、「持ちつ持たれつ」だ。でも、「昨日と同じ」という生き方は、誰かに持たれっぱなしである。「昨日と同じ生き方」を否定はしない。ミニマムな生活も否定はしない。でも、その人たちの分を引き上げている他の人たちへの感謝は忘れないでほしい。資本主義に舵を切っている日本で生活するということは、そういうことだと思う。

会社組織にはルールがある。そのルールを打ち破って新しい物や大きな成功を手にする人もいる。そこで「新しい何か」を発見、発明して、社会に大きく貢献するかもしれない。その結果、その成功者は大きく称えられる。
しかしどうだろう?その人の成功にはルールを守っている人がいるから成り立っている側面があるのではないだろうか。会社や組織の7割、8割の人間がルールを守らなかったらどうなるだろうか。そうなれば、組織として成り立たなくなり、”型破りな活動” ということ自体ができなかったのではないだろうか。

逸脱して上手くいくと “才能” のように言ってもてはやすことがあるが、それを真に受けて「みんなルールを守っていたら成功はない」というようなことをいうのは間違いだと思う。そうではなく、ルールを守ってくれている他の者、それを許してくれた会社のおかげで、結果的にうまくいっただけであり、逆に感謝すべきだ。

「がんばらなくていいんだよ」は、コツコツ成長することを意味し、現状維持ではないということをであり、ルールを打ち破った人は、成功しようが失敗しようがルールを守っている人がいるから自分だけ逸脱することができたということをわかっていただきたい。