日々是、思ふ 其の参拾弐

「日々是、思ふ」は、私、オサーンがその時感じた事、常々思っている事を、小出しにしてブログの間をつなぐストレス解消のために書き連ねるコラム的なヤツです。

言わずとも知っていると思うが私は時計が好きだ。特にロレックスは好きだ。ミーハーだとかプレ値になるからだろうとか言われても気にならない。それを全部含めて好きだからだ。毛嫌いしている人がいるというのも、好きな理由でもある。当然のことながら、なかなか人気モデルを購入することは難しい。

しかし気は持ちようである。心身共に強くなれば、ロレックスの人気モデルを手にできると信じているし、私の身体が元通りに近づいたら、希望モデルを購入できるであろうと確信している。

 

30代後半から大きなケガを2度ほどし、いまでは激しい運動ができなくなったが、一般的に40代を折り返した時点で激しい運動を日常生活ですることはほぼない。軽い運動はできる。ジョギング程度なら、しばらく経てばできそうだ。

ケガをしてから身体が徐々に動くようになると嬉しいもので、もっと飛躍的に回復しないかとコーチを付けることを思いついた。専属コーチのマンツーマンのトレーニングを模索する。嫌われるかも知れないが正直にいう。金はある。思い立ったが吉日オリンピック選手を育てたようなコーチを探す。今の世の中、何でも見つかる。この行動の早さは自分を褒めてやりたいほどニクイ。

すると私の専属コーチ(YouTube)が見つかった。アドバイスを▶ボタンで再生する。

ヘラヘラ笑いながら子供が走っていると、『ヘラヘラするな!』と言いたくなるでしょう。しかし実はそうではないんです。走る時に大事なことは、いかにリラックスしているか?ということです。」という。参考VTRとしてオリンピック選手の100mを見ると、なるほど、選手の頬が揺れている。プルンプルン揺れるほどいいようだ。このプルンプルンがリラックスの証らしい。

少しずつではあるがジョギングを時々すると、頬はもちろん下顎や下腹までプルンプルン揺れる。それはオリンピック陸上100m決勝のどの選手と比べても負けない。大いに自信がついた。たるんでいるのではない。これはリラックスしているのだ。このリラックスこそ、自分のパフォーマンスが発揮できるということなのだ。こう解釈することを、「大きな勘違い」という人もいるが、私は「気の持ちよう」と思っている。

 

ロレックス正規店へ行って、この自信みなぎる私を見て「この人に売りたい」と思うだろう。しかし世の中そんなに甘くないのは私も知っている。中には相当なアマノジャクもいる。「こんな自信みなぎるクソオヤジに売ってたまるものか」と対抗心を燃やしている店員もいるかもしれない。

しかしそんな人でも、ウソをついていると何かのサインを必ず出す。私はヨメーンに、「今日、どこ行ってたの?」と聞かれて「仕事が溜まってて遅くなった。」と間髪入れずに見事な切り替えしをしても、完全に目が宙を浮いているという。ウソをつくと必ず何かサインが出る。それを私は見抜くのが得意だ。

スポーツの世界でも疑わしきジャッジがあれば、「チャレンジ」ができる競技が増えた。「チャレンジ」とは、審判の下した判定に納得がいかなかったときに、客観的(ビデオ判定など)にもう一度判定するというものだ。この客観的が大事なのだ。しかし頻発されては進行の妨げとなるので、「チャレンジの回数は制限されていることが多い

この制度を日常生活にも導入して欲しい。特にロレックスを買いに行ったとき、

デイトナのステンレス、白文字盤をさがしているのですがありますか?

と聞いても、数十回、数百回に一度しか巡り合う機会は一般の我々にはない。しかしここで究極の救済処置、「チャレンジ」が威力を発揮する。年に一度使えるその権利

人気モデルなんで・・・在庫は只今切らせております。

と言われた時、店員の表情をみて声高に唱える。

チャレンジ!

これを発動したからには、在庫一掃総点検が第三者委員会によって行われる

いやぁ、先ほど見た時には在庫が確認できなかったのですけど・・・

と苦し紛れに言い訳する店員を横目に支払いを進める。チャレンジ成功である。

 

ロレックスは様々なスポーツイベントスポンサーとなっている。ロレックスマラソンもそろそろスポーツとして認定し、「チャレンジ」を導入する日が近いかもしれない。そうあるべきだとポンコツの身体を操る40代半ばの男は日々訴えかけている。