日々是、思ふ 其の参拾壱

私は仕事をしていて部下に叱責したり、強い口調で物事を言うことはほとんどないのだが、先日、仕事で部下が大チョンボをした。やっぱり叱る時には叱る必要がある。気が乗らないが言わねば・・・そう思い、

「〇〇(呼び捨て)!これ、どういうことや、納得いく説明せい!」

課のみんなが聞いている。ビシッと言ってやった。しかし当の本人は、

「すいません、でも失敗は僕だけのせいではなくて・・・」

と、こともあろうに言い訳をした。これは信じられない。我が職場は、どちらかというと体育会系だ。言い訳なんて、俺以外誰もしない。だんだんとこちらもヒートアップしてきた。

「何やと?お前、人のせいにするんか!まず反省しろ!」

上司たるもの、決めるときには決めるのだ。しかしこちらの意表を突く返事が返ってきた。

「ニャイ・・・」

40年以上生きてきて、「ニャイ」という返事は聞いたことない。これは困った。ツボに入った。笑ってはいけない。ここは笑うと終わってしまう。

でもこの「ニャイ」で私の次にいうセリフが飛んでしまった。何か言わないといけない。咄嗟に口をついて出たのが、

「お前、人が真剣に話してるときは、メガネを外せ!」

自分でも失敗したと思った。メガネは私も掛けている。この部下のメガネフレームが若干チャラい(白)と以前から感じていたが、これは言うべきことではない。

だって関係ないから。

パッと他のデスクに目をやると、数人がそっとメガネを外した。

だから俺も外した。

前がボヤけたら、何も言う気になれなかった。

 

私は、人を叱ることが苦手だ。恐らく、みんなから慕われる上司というのは、叱るのも上手なのだろう。甘やかすだけの上司は、結局慕われることはない。この叱咤激励がいかに大事かを考えされられる。かと言って、私はそんなことを本で読んだりして覚えようとも思わない。しかし、怒らないイメージの人が怒ると、なかなか効果的だとも思った。多少こっちが理不尽なことを言っても、

あの人が怒るんだから、相当悪いことをしたに違いない。

と、周りは見る。

 

人はどうしても他者やモノに対して良くも悪くも “イメージ” を付ける。こんな私も、時計好きの皆様から色々とイメージされている。ブログをやっていたものの、ほとんど自分の素性を明かさなかった。

どんな奴だ、オサーンは?

と何かの拍子に思われていたかもしれない。普段のお堅い仕事からのストレス発散のために始めたブログでは、自分の思ったことを誰も見てなくても書くのは自由だし、しかも10回に1回ぐらいは、くだらないことでウケたりする。

「10回に1回ぐらい面白いことを言う奴。いったいどんな奴なんだ?」

と少なからず対面する時に期待される。プレッシャーは、かなりある。なので、最後まで “謎の人” の予定だった。

しかし “ナニワの暴れん坊” こと、イササカ先生からのラブコールに負けた。そしてSNSで知り合った人と初めて対面した。多少は面白いことをしたかったが、仕事の合間でしか時間が取れずに断念した。やろうと思えば何かできたが、ここでスベると大阪では生きていけない。スベった時には、大阪湾に沈められることも考えられる。ここは、「石橋を叩いて渡る」というチョイスをしてしまった。

不思議なもので、一度経験すると抵抗感は、かなりなくなる。その約1月後、東京へ向かった。その時には東京の重鎮とお会いした。その様子は過去の記事にもある。

一度作られたイメージを変えるのは、結構難しい。今となっては、

「東京へ行って時計好きの人と会う時って、普通じゃあかんよな?」

と思ってしまっている。しかし正直に言う、

「思っていたよりもダンディーですね!」

と言われたい(そしてモテたい)。

今度、東京へ行く時っていつになるのかはわからないが、そう思われるように作戦を練っている。