日々是、思ふ 其の弐拾玖

『日々是、思ふ』は、オサーンの身の回りに起こったことや、過去の回顧を中心としたハッキリ言ってどうでもいい話だが、それを遠回しでちょっと知的にみせようとするコラムである。

何故かウチの息子は準備運動をするときに「ぉいっちに~さんし~」と、かなりオッサン的な掛け声をかけるので、朝から笑ってしまったオサーンです。

小学校などで身体測定があったと思うのですが、その記録が通知表と一緒に子供が持って帰ってきます。そして気付いてしまったのです。そこには、「座高」の欄がないんです。

よく友達と身長の高さを比べたりした時に、結構自分より低いのに座高は同等、もしくはそれ以上の奴が時々いました。なぜなくなったのかを調べたらすぐにわかりました。その理由・・・

意味がない」ということだった。これは悲しい。だったら身長もいらないんじゃないか。その昔は栄養のバラつきが各家庭であった。その上で、健康と成長度合いを客観的に見る指標だったのだと思う。しかし身長などは遺伝的な要素が多く、昔の「栄養云々」の話は当てはまらないように思う。わざわざ身長を測らずとも、その見た目で十分高さなんて検討がつく。

身長などは測らなくていい」と言いたいのではなく、「座高に意味がない」としてしまうことが残念に思っているのだ。これは友達との話題に「大切」な測定だと思っている。「座高測定は大切」なのだ。

決して座高測定が大事だとは思わない。必要がないということだからだ。この「大事」と「大切」は似て非なる言葉。座高測定を行わなくても、損をしない。大事ではないからだ。でもその測定された座高を見て友達とやり取りした時間は大切だと思った。

 

そうしているうちに悲しいニュースを目にした。ご存知かとは思うが、女子プロレスラーの木村花さんが命を経ちました。恥ずかしながら私は彼女のことを存じておらず、出演されていた「テラスハウス」という番組も観たことはない(内容はだいたい知ってます)。

彼女の表向きのキャラクターはヒール役だったようですね。可愛らしくもあり綺麗な彼女がヒールだと断然盛り上がります。その昔、女子プロの悪役と言えばダンプ松本さん、アジャコングさんなど、ヒールしか勤まらない大型のルックス度外視の女性がするものだった。いや、悪役をするべくしてする体型だったのだ。

※アジャコングさん(左)・ダンプ松本さん(右)

しかし彼女達はメイクを落とすと愛らしい顔の女性だった。性格も思っている以上に女性っぽかった。そのプロとしての悪役は流石だと思った。女子プロの世界だけではない。特撮ヒーローでも、その昔は悪役となると悪そうな顔が多かった。

それがいつの頃からか、悪役までもがイケメンや綺麗な女性がするようになってきた。

※炎神戦隊ゴーオンジャーのケガレシア役は元AV女優の及川奈央さん。ある意味、息子がお世話になった。

そんな新旧の悪役は、どちらにしても多くの誹謗中傷があったに違いない。特に前者はファンはいただろうが、味方が圧倒的に少ない状況で悪役を演じきっていた。及川さんはAV出身とあって、心無い言葉を受けたこともあるだろう。しかし多くのファンもいたに違いない。彼女たちのメンタルの強さは、相当なモノだと思う。でもこの悪役は、”本当の悪” ではないと、見ている側も心の片隅に置いていた。

ニュースを見ていると、芸能界の大御所が、演技を真に受けて反応されることに、「もうかなわない」と言ったようです。しかしテレビを始め、芸能界で生きることは何かに演じて、それをいかに信憑性をもって見てもらうかが重要なんじゃないだろうか。そのために役者は演技を磨く。真に受けられるのは、ある意味役者として “本望” なのではないだろうか。ただ、木村花さんはテレビや舞台の役者じゃなかった。プロレスというある種『ショー』の世界で悪役を演じているとプロレスファンはわかっていた。しかしそこを飛び出し、誰の要望か知らないが演出でそのキャラクターをテレビの『ショー』で披露した。今までの注目度とは遥かにかけ離れた、しかも全く違う層に対して披露した。この反応は、芸人なら大喜びするかもしれない。炎上することによって注目され、一気に有名人になる。その世界に生きる人ならば、『成功』なんじゃないかと。

※バッファローマンみたいなのを付けている木村花さん。スタイル抜群の女性だ。

その昔、芸能界と一般人との接点なんてほとんどなかった。「特別な世界の人」として捉えていた。しかし今や一般人がネットを通じて有名人になることも一般化し、その垣根がかなり低くなった。そしてSNSで簡単に「特別な世界の人」とやり取りができる時代になった。今まで学校や会社でしか「昨日のテレビの話題」をしなかった人たちが、直接本人に伝えることができるようになった。何事も、良いことばかりではなく弊害がある。日本人だけではなく、どこの国でも自分が誰であるか伏せた状態だと何でも好き勝手にいう。アカウントなんて、タダでいくらでも作り直せる。そんな時代だから、見えない自分は “暴徒化” する。自分は責任を回避する道を残して人には「自己責任論」を押し付ける人も多い。

20歳過ぎのSNS世代にとってこの圧倒的な誹謗中傷の数には、メンタルが追い付かなかったのでしょう。その辺りの付き合い方についても、やはり所属する事務所などは最新の注意を払い、アドバイスする必要があるのでしょうね。誹謗中傷している人達に、何かを求めて解決するはずないでしょうし。

 

そしてあまりこんなことが頻繁に起こると、結局SNSだけでなくインターネット自体も自由度が狭くなってしまうのではないかと思ってしまう。所詮インターネットなんて監視下に置かれているのはわかっている。どこから誰のアクセスかなんて、ちょっと知識がある人が見れば素人でもすぐにわかる。しかしどこかの国のように検閲を常に受けて、ある日突然ドアをノックされる国にはなって欲しくない。

でも、そんな時代になっていくのでしょうね。木村花さんの死で、何かが動いていくことは間違いないでしょうし、動かないといけないでしょう。大切な物をなくしてしまった人が多い国なんだろうな、日本って。

そういえば、オシリに貼るセロハンタイプのぎょう虫検査もなくなったんですって。子供の頃おかんに、「オシリ出して、ほら。もーして、もー」って言われましたよね。え?40オーバーの関西人しか伝わらんのか・・・