日々是れ、思ふ 其の弐拾壱

「日々是、思ふ」は、オサーンがちょっと時計とは関係ないこと(時には関係あること)、思ったことを綴る時事的コラムです。社会派ハードボイルドとでも言うべきか。100人に1人でも共感してもらえれば本望です。
基本、「オサーンの愚痴の掃き溜め」である。

本当にただの愚痴になるが、私が若かりし頃によく聞いた「近頃の若い奴は、ホニャララ」という話をする年配の人達が嫌で嫌で仕方がなかった。若かろうが年寄りだろうが、ダメな奴は一定数いるので、”若い奴” でひとくくりにされるのに納得がいかなかった。

しかしそう言いたくなる出来事が見の周りで度々起こり、この日もそうだった。長くなるので時間があれば読んでください。

私は元々、自転車が趣味で数台保有していた。マウンテンバイクやロードバイク、オシャレな”ピスト”と呼ばれる固定ギア(競輪に使われるタイプ)の自転車も乗っていた。もちろんメンテナンスは自分でするし、パーツを買って組み立てて乗るのが当り前だった。なので人並み以上に詳しい。余談になるが、私は怪我をして全身にボルトやプレートが入っているので、今はママチャリしか乗っていない。

会社には自転車通勤する多くの従業員がいる。彼らの自転車に不具合があると、直せるものならと思い、自前の自転車用工具をロッカーに入れてある。

所属の課が違うので話をしたことがない若手だが、通勤途中で転倒し、怪我はないが自転車がまともに動かなくなり困っているという。

出番だ。

「どれどれ?」と熟練工のように自転車を見る私。ホイールをフレームから外すのにスポーツバイクなら工具無しで外せる “クイックリリース” というのが一般的だが、彼の自転車はナット止めタイプだった。

※画像上がクイックリリースタイプ・下がナット止め

工具を床に並べ、取り掛かろうとした時、メガネレンチがなかった。

あれ?メガネがないなぁ…」と呟く。

しかしこともあろうに直してもらっている張本人がゲラゲラ笑っている。私も大人だ。すぐには怒らないが怪訝な顔をした。その時、彼の放った一言。

いやいやいや、課長。掛けてますやんメガネ!

俺がボケたとでも思ったのか。メガネレンチを知らないのか。それにしても何だその言い方は…面白くも何ともない。それでも大人オサーンは冷静に言う。

メガネレンチって工具のことだよ。

「へぇ〜、そうなんだ。」と、スマホを見ながら答える彼。その時、彼は私の工具箱に “ながら歩き” のせいで躓いた。

工具箱の工具や部品が散らばり、さすがの彼も

すいません、すいません!

と慌てて元に戻す。しかしネジが一本転がっており、工具箱に入ってた物なのか、自転車から取り外した物なのか彼には判別が付かなかったようだ。

課長、これ何のネジですか?

大人オサーンはそれでもキレずに笑顔で答える。

君の頭のネジちゃうか?

我ながら、なかなか良い “返し” をしたと思ったと同時に、なんて “イケズ” なことをいう人間なんだと自分に嫌気を感じた。

それにしても最近の若い奴は…

しかしここから学んだ大切なことがある。

恥ずかしながら告白すると、嫁姑の問題が我が家にはある。その原因の一つがこれではないかと思った。

私が自転車を直そうとするのは、私の「善意」から来るものだ(少しの偽善もある)。この「善意」は、自分勝手なものでもある。なぜなら、「あなたの為にする」という押し付けが少なからずあるからだ。別に本人が自転車屋へ持っていけば済むことだ。

悪意」で何かをすると、「良心の呵責後ろめたさ)」があるが、「善意」で何かをすると、感謝を期待する節があり、反故(ほご)にされると、恨みに変わる。一番質の悪いのが、「善意と善意」がぶつかったときだ。これは根が深い。積み重なれば、手が付けられないことになる。

嫁姑の関係は、最初は良かった。しかし一つ一つ、少しのことが積み重なって、しかも「善意良心」でお互いがしていたことだから、感覚のすれ違いが起こったときに、何か恨みのようなものに変わったのかもしれない。掘り起こしても見えないほど、根が深い。

あの時、仲良くしていた時に戻って欲しい。そんな不可能であろう時間の概念を変えられないか、そう強く想うばかりに私は『時計』という物に心を揺さぶられ、いくつも買うことになったのだろう。

私が時計を買う合理的な理由がここに誕生した。なので、

俺だけのせいじゃねーんだよ。

と自信を持ってこれから時計と接することとする。

3度目のランゲブティック訪問で、常連化しつつあるのは私のせいじゃない…