日々是れ、思ふ 其の拾捌

日々是、思ふ」は、オサーンがちょっと時計とは関係ないこと(時には関係あること)、思ったことを綴る時事的コラムです。社会派ハードボイルドとでも言うべきか。100人に1人でも共感してもらえれば本望です。
基本、「オサーンの愚痴の掃き溜め」である。

こんなノン気に生きてそうな私でも、実はかなり深刻に悩んでいることがある。家庭内(子供)の話だが、結構深刻な悩みでもあり、私の日々の生活に支障も来している。何より “3度の飯” より大事なパトロールに全く行けない。

動物、というか「社会」には元来、必然的に起こりうる “問題” というか “法則” がある。

例えばが顕著な例だ。彼らの中で「労働者」として生まれた者は、「働き蟻」や「働き蜂」と言われて一生懸命働く。健気なもんだ。

だが彼らの中には、他の者より働かない、俗にいう「ナマクラ」がいる。「俺が働かなくても誰かが働く」という考えを持った奴だ。気持ちは良くわかる。このバランスは実は “健全” なのだ。

ならばそんな「ナマクラ」を取り除き、働き者ばかりを集めると、これまたその中から「ナマクラ」が一定数発生するという。これが現実なのだ。人間社会に置き換えても当てはまるのだろうか。

南太平洋に浮かぶ小国、「ナウル共和国」が”人間社会“の一面を教えてくれている。豪州とハワイの間ぐらいにある国で、世界でも3番目に小さな国連加盟国。その国を見ると、「ナマクラ」の怖さがよくわかる。

このナウル共和国は、1888年ドイツによって植民地化された。その直後判明した事実が、その後のナウル共和国の運命を大きく変えた。これは有名な話なのでご存知の方も多いかと思う。

それは地下資源。実はこの島全体がリン鉱石でできていることが判明したのだ。リン鉱石は使用用途が多岐にわたり、重宝される。第二次世界大戦後の独立で、採掘による莫大な収入がナウル国民に還元されるようになった。世界有数のGNPを叩き出し、裕福な国へと変貌した。国民の10%が公務員で残りは無職。「夢の楽園」だ。医療費・学費・光熱費・その他の生活費がタダ。新婚には家まで国が与えた。お金がジャブジャブ湧いてきた…ように錯覚した30年間だった。

20年以上も前から危惧されていたリン鉱石の「枯渇」。わかっていたが、何もしなかった。そして資源がなくなった。

国民の90%は “肥満” だった。ナマクラは動かないのだ。30%糖尿病だった。30年間の不労所得生活のツケは大きかった。彼らに「勤労」という言葉はなくなっていた。

資源のなくなった彼らが思ったことは、「働こう!」ではなく、「どうやって働かずして稼ごうか?」だった。

そして出た答えが、マネーロンダリングの根城となることだった。当然ながら国際社会から非難され、米国が激怒し、あえなく終息。

しかしナマクラは働かない。次はパスポートを濫発テロ組織からお金を得る手段に出た。当然、非難に晒された。

豊かだった国は経済だけでなく国民の精神までも落ちぶれてさせてしまった。最後は豪州日本を含めたアジア諸国に援助乞いをしている始末である。

ナマクラになったは、ナマクラだけを集めると働き出す者が出てくるそうだ。その割合は、結局元の “健全” な集団と同じになるという。どうやら人間社会とは違うようだ。

ウチは裕福かどうかはわからないが、日々の生活で困ることはない。果たしてそれが家族にとって幸せなのかを考える。もしかしたら、ギリギリの生活の方が、今、私が抱えている問題は無かったのかも知れない。はたまた今の状況が、自然界においては “健全” なのかも知れない。

仕事、家庭、時計。全てにおいて悩んでいる。禿げそうだ。禿げそうな状況にまた、悩む。