日々是れ、思ふ 其の拾参

「日々是、思ふ」は、オサーンがちょっと時計とは関係ないこと(時には関係あること)、思ったことを綴る時事的コラムです。社会派ハードボイルドとでも言うべきか。100人に1人でも共感してもらえれば本望です。
基本、「オサーンの愚痴の掃き溜め」である。

 

中学生時代の同級生に、警察官がいる。ニックネームは「とっつぁん」というベタなあだ名である。もちろん「ルパン三世」に出てくる “銭形警部” から取ったものだ。彼は親も警察官で、出会った時から「俺、警察なんねん。」と言っていた。今では年も年なので、既に”偉いさん“になっている。

彼からは年賀状は来ないが年末になると、毎年手紙が来る。律儀な奴だ。しかし彼なりの「笑いのセンス」なのか、”○○府警” と書いた封筒で来るのは良いが、ちょっと反応に困る。

 

俺は潔白や。ただ “正規店の前で、店内の客が出るまで外で待機してただけや。好きな店員さんが接客終わるの待ってただけや。それだけのことや。

と自宅郵便受けの前で冤罪えんざい)を主張する。もしかしたら、息子が・・・なんかとも思ったが、とりあえず開封してみて読んでみる。

寒気いよいよ厳しく~」という友達とは思えない挨拶から始まる。そして続いて、

ところで、最近凶悪事件が多いです。事件解決は住民、知人の聞き込みから、というのは我々の常道で、となると真っ先に疑われるのは、仕事はしてる体裁だが平日に街中をフラフラしている人間です。こういう人間はアリバイ証明ができない。さらにもし、そのフラフラしている人間がブランド好き(特に高級腕時計)が好きで、なおかつ女好き、そんな奴は社会を恨んでいたりします。これはもう立派な犯罪候補者です。どうか、年末もお忙しいとは思いますがお身体に気を付けて、そして行動にお気を付けください。

そういえば最近、街中を歩いていると、こっちを見てソッと子供を隠したりする母親がいるような気がする。こんな社会の片隅でドブネズミのように、ヒッソリと暮らしているというのに・・・

 

昨日、実家近くでお祭りがあった。「義士まつり」といって、かの有名な大石内蔵助おおいしくらのすけ)筆頭とする赤穂浪士の討ち入りのお祭りである。元禄15年12月14日の深夜に行われた討ち入りということで、毎年12月14日に行われているのだが、今でいう西暦では1703年1月30日のようである。俗にいう、「忠臣蔵」である。

しかしこの赤穂浪士、美化され過ぎているような気がする。この背景には、これまでこの事件を題材とした演劇・映画で、赤穂浪士が “正義“、そして吉良上野介きらこうずけのすけ)側が “” という図式の下で構成されているからであり、配役ももちろん正義側には当時の人気俳優が主役として登場する。

元々の話は、吉良上野介播州赤穂藩主である浅野内匠頭あさのたくみのかみ)が江戸城・松の大廊下で刀を抜いて殺害未遂をしたことだ。原因は今でいう “パワハラ” である。しかし城内で刀を抜くというのは、当時、死罪は当然であり “切腹” すらさせてもらえないほどの大重罪である。切腹とは、「自分自身で処置する覚悟を示すことで、自身のみならず一族の名誉を保つという社会的意味」がある。城内抜刀斬首されてもおかしくないほど重い。

これに仇討あだうち)という形で47人が集結し吉良邸に討ち入り浅野内匠頭敵討ちをし、彼らはその後、全員切腹という形となった。

実を言うと、この仇討明治初期までは法的に問題がなかったそうだ。まるで「ハンムラビ法典」である。しかしこれにはルールがあって、仇討するにも “届出” が必要だったという。この “討ち入り” についてみてみると、御成敗式目というのが制定されていたが、これは仇討の範疇でもなく、いわば “逆恨み” に近い感じもする。

ということは、届出なしの仇討、これは完全に現代で言う「テロ」である。この47人テロリスト達を脚色して美化する。ドラマチックだが、やはり複雑な心境にもなる。いつの時代も、 “反体制派” は庶民のヒーローとなるようだ。

 

私も時折、社内で背後に気配を感じる。パワハラセクハラはしていないつもりだが、この時期になると “社内の浅野内匠頭” がいないかをいつも警戒している。もしかしたら、ウチの課の47人ぐらいが、俺のクビ(解雇)を狙っているかも知れない。

 

こう思うのは、仕事で疲れているせいなのか・・・

 

 

 

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