興味がないでしょうが、私について考察する

はじめに

「お前は何者だ」なんて言われているちょっとミステリアスなオサーンです。そう思っているのは私だけで、実は誰も興味がないというのは存じておりますが、ちょっとだけ私のことについて書きたいと思います。画像もなく、ただただ書き連ねますので、時間のない方には読むことをオススメしませんし、時間のある方には「時間の無駄」と前もって言わせて頂きますが、文才のない私のストーリーを完読できれば、相当な読解力と忍耐力の持ち主だという証明にはなりそうです。

学生時代

ルーツとなった高校時代

生い立ちなんかはどうでもいいでしょうし省かせていただきますが、高校ぐらいから書かせてもらいます。この3年間が私を作ったと言っても過言ではありません。

関西のそれなりの進学率の高い学校でサッカー部、ゴールキーパーをしていました。こんなことを書くのは本意ではないから極めて控えめに書かせてもらうが、私は当時学校のスターだった。

シュート練習を終えて泥・汗まみれで部室に帰ろうとグラウンドを歩いていると、バレー部やテニス部の女子の間で交わされる「カッコイイッ!」とか「彼女いるのかなぁ?」とかいう会話が耳に届いていた。
気が引けるので書きたくないが、俯瞰(ふかん)して淡々と事実だけを書くことにするが、いつのまにやらそんな女子は増えていた。練習が始まると、「キャーキャー、すごい凄い!」と女子たちは黄色い声を出し、他のクラブの女子部員たちは練習の手を止め、ゴール裏に鈴なりに集まる。
これには困った。でも校内のスターとしてはこのファン達を無視するわけにはいかない。平凡なシュートもわざと横っ飛びで体を倒し、後ろからの喝さいを待ったり、泥のある所に滑りこんでドロドロになり「ジャージ洗わせてください」という言葉を得なければならなかった。
サッカー部のレベルはかなり低かった。選手のほとんどは色白で痩せていたし、メガネを外すとボールの位置すら分からない奴もいた。監督はオフサイドを知らないどころか、「スローインは利き腕一本で投げたほうが正確だ」とファウルスローすら知らなかった”ど素人”。公式戦で我が校と対戦すると決まった時点で相手校は二回戦の準備に入っていたと聞く。

監督は途中からサッカーの勉強を始め、私が3年の時にこう言いだした。
「お前達のサッカーは、南米型を目指すのか欧州型を目指すのかを聞きたい!」

他の部員が監督にこの時噛みついた。
「何言うてるんや?空振りせんようにすることが目標や。」

監督は真剣に南米型と欧州型の違いを黒板に書き始めた。そして試合前にはミーティングを必ず行う。
「今日の作戦は・・・壁パスとポストプレーでサイドから・・・」などとそれらしいことをいう。
そんな時、初めて私は自分(達)のスタイルをみんなに明確にした。
「監督、今まで何見てたんや?オレらの作戦いうたら、いつもの日本型や!やることっていうたら、とりあえずボールを相手ゴール前にボカーンと放り込んで、みんなでワーッて声出して全員で突撃するんや。それしかないやろ。これ、名付けて”百姓一揆”いうんや。」

なんとも哀れなサッカー部であったが、みんなは至極(しごく)納得した。

しかしこの”百姓一揆”がたまに成功することもあった。雨の試合だ。蹴り込まれたボールに奇声を発しながら向かうと、相手キーパーがミスを犯すことがあり、我々百姓たちの餌食となった。

やはりこういった、自分を客観的に見て、それを形にすることを学んだ高校時代でした。

競馬に没頭した大学時代

代表に招集されないと気付いたので、サッカーは高校までで辞めることとした。進学も本当は文学部に行きたかったが、「刑事コロンボ」が大好きだったので、あの”いやらしい”犯人の追い詰め方に魅了され、心理学を学べる大学へ行った。

しかしここで親友になった友達が、大の競馬好きであった。お陰で私も競馬にハマる。週末はいつも淀か仁川にいた。そして大きなことに気が付いた。

大レースなどでよくあるが、負けた騎手が勝った騎手の横に行き、「おめでとう!」と言っている。聞こえないが恐らく言っている。

自然界で例えるなら、ハーレムを成すライオンやゾウアザラシなどは、オス同士で覇権争いをする。そのハーレムではオスは1頭しかいらないのだ。そう、オスはG1を目指す。負けたオスは、「今日からお前はここのボスだ。おめでとう。」とは絶対に言わない。ただ闘いの痛みに耐えながら去っていき、死を待つ。メスも、「ずっとあなたことが好きだから付いていく」など言うモノは1頭もおらず、勝者に寄り添う。

人間が自然界の動物の一部なら、やはりそうなんだろう。いや、そうであるはずだ。「おめでとう」ではなく「負けたから去ろう」となるのが普通である。でも「おめでとう」を言う。これをせっかく勉強していたので、分析してみた。その結果、「おめでとう」とは、”悔しさ”や”羨ましさ”をオブラートで包んで発した言葉なんだ、という結論に至った。

アルバイトで稼いだマニーと学費として置いていたマニーもJRAという悪代官に搾取され、再び一揆を起こそうかと企てるが、ここは頭を冷やそうと海外へ逃亡。アメリカ〜オーストラリア〜ニュージーランドと2年間ほどお金もないのに(女を追いかけ)渡り歩いた。

そして一人の女性と知り合い、学生の身でありながら結婚を決意。アメリカ国籍の韓国人(見た目は完全に韓国人)。後に彼女の家系は大金持ちだと知る。しかし彼女の両親(特にオヤジ)が猛反対。彼女のオヤジから手切れ金(小切手○百万円分)を渡され、オヤジに指示されたセリフ「ヤッパリ韓国人には興味ない」を彼女に言い残し帰国。胸が引き裂かれる思いをし小切手を破り捨てそうになるが、日本円に換算し、目ん玉飛び出す。ニュージーランドのコーフィールド競馬場からJRAに向かって叫んだ。「今から反撃だ!」と。ちなみに私は生粋の日本人です。

1998年帰国、銀行で換金したお金をまた競馬に注ぎこもうとするが、株を薦めてきたゼミの仲間の言いなりになり、Yahoo!の株を買う。当時、確か株価は3円弱だった(300万円ほどで買った)と思う。コイツのお陰で今があると言っても過言ではない。しかしこの友達が後に、FXで私に巨額の損失を出させた張本人でもある。

就職しオサーン覚醒

なんの変哲もない会社に就職し、数年経過したときに証券会社からひっきりなしに連絡が来るようになる。忘れていた株が膨れ上がっていると言うことだった。これには吐き気が止まらなかった。平静を装い生活することに必死だった。

生活はそのお金で当面できるようになったので、仕事を「世間体」で続けていると、仕事先で知り合った人からロレックスの良さを教えてもらい、デイトナ Ref.16520 エルプリメロ 白・黒を2個大人買いする。現在、もう手元にはない。

当時はそれほど時計に没頭はしていなかったので、「傷がつけば売って、また新しいのを買う」を繰り返す。当時は今のように転売は悪者扱いされなかったし、正規店で購入しているオサーンを「なんで正規店みたいな高いところで買うのかわからない」と時計好きの仲間からは言われました。確かに全てのモデルと言っていいぐらい、並行店の方が安かったと記憶しています。しかし今思うと、売らずに時計を残しておけば凄いことになってたと思う。とりあえず売り買いして「儲け」が出ない時は誰も妬みも嫉みもなく、バカにするだけなんだと最近気づく。

結婚をし、子宝にも恵まれてごく普通の生活を続けていたが、大きなケガをしてしまい鬱のようになる。この頃からケガが原因で入退院を繰り返すようになり、ヒマなので時計の知識を詰め込む。気が付くと、自分の資産は時計ぐらいしかないようになっている。そんなに散財した記憶はないが、病院にかかると結構使うんだということがわかった。そんなことはどうでもいい。お金なんてないなら、ないなりの生活するしかない。そして来ました、高級時計ブーム!

現在のオサーン

私はパトロールで買えなくても、その一つ一つの積み重ねが種であり、芽が少し出て、そして果実が実ると信じています。ロレックスに限らずです。全ての行動・言動は良い種であり悪い種でもあると思っています。
マラソンは私の生活リズム・仕事・その他色々あり無理ですが、月に数回のパトロールならできます。しかし私が蒔いた種、ここ数年の間で蒔いた種ではないと思っています。並行店よりも高い時に購入していた時に知り合った販売員さん、今はかなりお偉いさんになられていたりします。今蒔いている種は、また息子が収穫すると思っています。

休んでばかりいるし、適当に仕事をしているが、自然体の仕事がなぜか上層部に評価され、同期で一番出世している。

現在に至る

 

終わりに

まぁ、こんなところです。ネガティブな発言は基本的にしないのがポリシーなので、誰かを罵ったり同情を誘うようなことはしていないつもりです。冗談は言いますが、その冗談が傷つけることがあるかもしれませんね。その点は、これからもあるでしょうが・・・なので、苦労話は今回も書きませんでした。それなりにこんな私ですが、あるっちゃありますよ、苦労も、そりゃ。今回のお話、自慢話に見えたらすいません。そのつもりは高校時代の話を除いて全くありません。株も興味ないので買わないし、FXはよくわからないので全くしません。でも時計は好きです。

 

以上