時計とは関係のない話 3

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幸いなことに、僕の学生時代の同級生に弁護士がいる。この彼とは長い間会うことは全くなかったが、離婚する際に恥ずかしながら連絡を取り、彼の専門ではないが相談させてもらい、色々と助けてもらった。ただ、彼の信条は「公平公正」なので、手続きがスムーズに進むように手助けしてくれただけで、こっちを有利に、とかは全くない。でも知らないことだらけなので、大変助かった。その関係もあって、旧友数人と先日飲み会の場を持つことができた。少し前にもその時の話は記事にした。

時計とは関係のない話 1
その名の通り、時計とは全く関係のない話です。 先日、友人数人とご飯を食べることになった。古くからの知り合いであり、職業も様々。左官屋・公務員・中小企業営業マン・ショップ店員・弁護士などなど。アルコールをそれぞれ飲み、昔話に花が咲いた。この場...

で、他にも知らない世界の話を聞いた。この年になると、今ある知識だけで死ぬまでそれほど苦労はしないだろうと思う。でも、知らないことの方が世の中多い。そこに興味を持つか持たないかは、人それぞれ。僕は知らないことには食いつくように聞き入る(仕事以外なら)。

同席しているメンバーに、京都の宇治市というところに住んでいる友達がいた。彼の家の裏が京都アニメーション、あの痛ましい事件の現場に隣接している。その京アニ事件の裁判が京都地裁で始まっているが、この裁判は裁判員裁判で進められているという。この友達もある種、報道されない被害者である。よく考えてみると、身近な知り合いに裁判員に選ばれた人が僕にはいない。聞くと、裁判員に選考された人の5割以上が辞退しているという。

2019/7/18 京都アニメーション放火殺人事件

裁判員裁判制度ができて12年ほどになる。弁護士の友達はこの裁判員裁判に弁護士として何度か参加しているらしいが、対象事件が減り続けているらしい。そこには、やはり難しい “壁” があるという。裁判員は法律や手続きについての知識が乏しい。それについて、裁判官から教わることが多いそうだが、そもそもの裁判員の役目は判決を協議することだけではなく、裁判そのものをチェックすることが大事だという。弁護士・検察官がそれぞれの仕事をしっかりとしているかだけではなく、裁判官のチェックも必要という。僕は、裁判官は裁判を取り仕切る側なので不思議に思ったが、弁護士から言わせると、裁判官も権力者であり、チェックする必要があるという。彼は実例を挙げて疑問に答えてくれた。

ある事件でAとBが共犯として逮捕された。AとBの裁判員裁判が別々に行われた。先にAの裁判が終わり判決が出た。その判決では、「Bが主犯」という流れで終わった。Bの裁判員裁判が後日行われたが、Bは無罪を主張。無罪の裏付けとしての弁護人の証明もあった。しかしBの裁判を担当した裁判官3人は、Aの裁判を担当した3人と同じだった。対して裁判員は新しく6人が選任されていた。裁判官はBに対し、有罪前提の質問を重ねた。刑事裁判の大前提に、「推定無罪」というのがある。それは、被疑者や被告人は、有罪確定までは「罪を犯していない人」として扱うことを憲法で保障している。なのでBの弁護人が怒りを露にし、裁判員に対しこう言ったという。

「この裁判官3人は、Aの裁判でBを主犯と判断しており、先入観を持って裁判を進めている。裁判員の皆さんは、この裁判で見た証拠、聞いた証拠のみで判断してください。」

その後、Bに無罪判決が出た。

裁判官も人間だ。自分の判断に縛られるのは当然だし、自分の決定を覆すような判決同士が食い違うことは避けたいと思う。このような流れなら先入観なく審理に入ることは難しくなる。その上、日本の有罪率は99%を超える。ということは、裁判官は有罪判決ばかり毎日扱っている。先に共犯者の事件がなくても、推定無罪でいることは日本の裁判では難しいのかもしれない。となれば、裁判員のような先入観のない人達の感覚は必要で、それこそが裁判員の存在意義、という。

僕は、「もう今年はロレックスを買わない」とか、「お金が無い」など言いながら時々買っている。自分の言動に責任を持たず、言いたいことをその時の気分で言う。裁判官はもちろん、裁判員にも向いていないと思ったが、そもそも大人として大丈夫か、人としてどうなのか、そんなことを自問自答した。

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