忘れ去られた”名”時計ブランドを考察する 後編
- 2019.08.21
- 時計情報局 海外ブランド
- Nivada, Smiths, UniversalGenéve, Wittnauer, yema, アンティーク, ヴィットナウアー, ヴィンテージ, スミス, ニバダ, ユニバーサルジュネーヴ, 名ブランド
良いモノを作っていても、ダメなときはダメなんですね。ロレックスの正規店に欲しいモデルが実は入荷していても、買えないときは買えないんです。
そういった、社会や経済の流れで昔から「良い時計」を作っていた会社も、誕生・消滅を繰り返しています。
前回に引き続き、忘れ去られた”名ブランド“をご紹介したいと思います。
Nivada
他のブランド同様、歴史を遡れば19世紀。しかしNivadaが本気を出したのが第二次世界大戦後に手掛けたスポーツモデルからである、と言えるだろう。
それは、南極大陸へのアメリカ軍のミッションであるコードネーム、”Operation Deep Freeze“に使われたことです。シンプルな三針モデルであり、耐水性・耐磁性が優れた時計であり、過酷な状況でも耐え抜いた。しかし残念なことに、この偉業はロレックスのエクスプローラーなどのような華々しい、目立つような取り上げ方はされなかったようです。
Nivadaはそれ以降も、タフな時計を作り続けます。”Chronomaster“は、ダイビングと航空用の両方に使用できるクロノグラフで、600フィートの耐水性があり、バルジュー社製コラムホイールクロノグラフムーブメントを採用。”Depthmaster“はデカくて分厚いモデルで、当時としては驚くべき1000mの防水を誇る性能でした。ほぼ同時期に、デプスゲージ(深水計)を備えた最初の潜水時計と考えられる”Depthomatic”をリリースしています。
しかしこのNivadaも、クォーツショックの波に押しつぶされてしまいました。この時代を切り抜けていたら、実用時計としてロレックスと双璧をなしていたのかもしれません。悔やまれますね。
Smiths
Smiths(Smiths Group)は、南ロンドンのジュエリーショップ兼時計メーカーであるS. Smith&Sonsとしてスタートしました。 1851年に設立され、長年にわたって進化しました。Smithsは自動車と航空機用の計器を作成していました(実際、Smithsの計器は1919年の大西洋横断飛行と1952年の最初の商用ジェット機に取り付けられました)。時計の生産に関しては、第二次世界大戦の開始時に英国市場の半分を占めるまでになっていました。
20世紀前半はスイス”Longines”のすぐれたムーブメントを用い、そのほとんどがスイスで製造されました。Smithsのロゴのみイギリスでプリントされていたと言われています。戦後は スイスの高級時計ブランド、”Jaeger-LeCoultre“から技術者を招き、完全イギリス製の時計作りに成功します。

Universal Genéve
1894年、スイスのル・ロックルで設立されたUniversal Genéveは、恐らく、”消えた“最も影響力のあるスイスの時計ブランドの1つです。 1917年、第一次世界大戦中、Universal Genéveはクロノグラフを作成した最初の時計ブランドでした。 1930年代までに、クロノグラフはUniversal Genéveの主力となり、 “Compax Chronograph シリーズ“を生産しました。第二次世界大戦後、Universal Genéveは、1954年にマイクロローター内蔵の時計を試作した最初の時計メーカーの1つであり、最初のマイクロローター時計であるGérald Genta(ジェラルド・ジェンタ)氏が設計した”Polarouter“をリリースしました。
60年代後半から1970年代初頭にかけて、Universal Genéveは”Bulova“に所有され、クォーツショックの中でも、独自のクォーツムーブメントを製造、販売する数少ないスイスの時計メーカーでした。 1989年、香港を拠点とする投資会社Steluxに売却されました。買収以来マイクロローターウォッチをリリースしていますが、2009年以降、新モデルをリリースしていないようです。しかし、Universal Genéveの”Compax Chronograph”は、セカンドマーケットで大変人気があり、質の良さ、デザインの良さが今もなお、生き続けています。
Wittnauer
Wittnauerは、1880年代に、スイス移民であるAlbert Wittnauerによってニューヨークで設立されました。彼は、義理の兄弟の高級時計の輸入事業を担当。Wittnauerは、米国市場向けにカスタマイズされたスイス製時計の重要性を認識し、スイスが提供する様々なムーブメントを使用して、他のスイスブランドよりも手頃な価格の時計を生産し始めました。腕時計におけるブランドの最初の大きな革新の1つは、1920年代の”AllProof“でした。これは、耐衝撃性・防水性・耐磁性を備えた世界初の時計であると言われています。
Wittnauerの時計と飛行計器は軍隊にも採用されました。第一次世界大戦中、多くのWittnauer製腕時計は歩兵用の懐中時計に取って代わり、飛行計器は第一次世界大戦中に多くのアメリカの航空機で使用されました。
Wittnauerの計器は、1932年にAmelia EarhartのLockheed Vega-5B で女性による大西洋を単独横断したときにも取り上げられています。
そして1957年に最初の電子時計を製造しました。この時代の多くのブランドとは異なり、Wittnauerはクォーツショックの波に飲まれることはありませんでした。 しかし1969年にWestinghouseに買収され、Wittnauerは70年代にクォーツ式時計と機械式時計(クロノグラフ、永久カレンダー、その他、コンプリケーションモデル)の両方を製造しましたが、80年代および90年代に、その名が薄らいできました。2001年、WittnauerはBulovaに買収され、現在はサブブランドとして存在しているに過ぎません。
Yema
ヨーロッパの時計製造の拠点といえば、ほとんどはスイスとドイツというのが相場ですが、フランスには独自の時計製造の歴史があり、Yemaは間違いなくそこから生まれた最高のブランドだったと言える。
1948年にフランスのブザンソンで時計師のHenry Louis Belmontによって設立されたYemaは、手頃な価格で信頼性の高い時計を製造することを、目的としておりました。
1963年、Yemaは300メートルの防水性と3時の位置にある回転ベゼルのロック機構を備えた潜水時計”Superman“を製造。当時としては非常に耐久性があったため、フランス空軍のメンバーに提供。まもなく、Mario Andrettiのようなレーサーが着用するレーシングクロノグラフである”Rallygraf“と、ヨットレース専用に設計された200メートル防水のクロノグラフである”Yachtingraf“をデビューさせました。 1982年、フランスの宇宙飛行士Jean-Loup Chrétienが10日間の宇宙旅行で”Yema Spationaute“を身に着けたとき、Yemaは時計を宇宙に送り込んだ最初のフランスの時計ブランドになりました。
アメリカへの進出もしましたが、違うブランド名で販売していた為、”Yema“という名前は浸透しませんでした。
クォーツショックは比較的乗り切れたように見えましたが、1988年にセイコーに買収され、ヨーロッパの日本企業のサブブランドとして機能しました。やがて、Yemaはフランスの経営陣に売り戻され、それ以来、クラシックウォッチの復刻版を販売して以来、静かに独立ブランドとして事業を続けています。
前編・後編と2回に渡って取り上げました「忘れ去られた”名”時計ブランド」ですが、クロノグラフなんかは今見ても、ちょっとカッコいいモデルがありますね。特に”Universal Genéve“は、クロノグラフがかなり人気で、セカンドマーケットでも数百万円という価格になっていたりします。
振り返ってみると、「クォーツショック」という荒波は、時計界では大きな津波となって、数多くのブランドを飲み込んでしまったのですね。日本人の私にとっては、”SEIKO“というブランドに誇りをもっています。世界有数のマニュファクチュールだと思います。しかし、このセイコーの起こした津波に飲み込まれ、名ブランドが消えてしまったのは、大変複雑な思いです。
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