忘れ去られた”名”時計ブランドを考察する 前編
- 2019.08.16
- 時計情報局 海外ブランド
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時計ブランド(メーカー)と言って、真っ先に頭に思い浮かぶブランドとは?ロレックスやオメガという人が多いかも知れませんが、高級機械式時計が好きな人なら、パテック・フィリップやオーデマ・ピゲなど貴族のブランドと言われる雲上ブランドなども頭に浮かぶと思います。
これらのブランドの売りは、歴史であったりその卓越した職人の技術が時計に込められているということでしょう。数百万円もする時計を作り、その時計を買いたくても正規代理店で購入することができないほどの人気です。相当の売り上げだろうし、収益は昨今の世界的な高級時計ブームで凄いことになっているのだろうと思います。
がしかし、これらのブランドが順風満帆にこれまで成長してきたかというと、”NO“である。今や、帝国まで築き上げる勢いのロレックスでさえ、経営にメスを入れなければならない時期がありました。機械式時計を生業にしていたブランドが直面した危機、クォーツショックと呼ばれる電池で駆動する時計を日本のセイコーが発表した時、数々のブランドがクォーツに負けて消えていきました。
今回はそんな忘れられない名ブランドを、2回に分けてご紹介したいと思います。
Cortébert
Cortébertのルーツは、1790年まで遡(さかのぼ)ります。時計職人Abraham-Louis Juillardは、スイスのコルテベールに時計店を開きました。ただし、この名前は19世紀半ばまで使用されませんでした。1950年代に火災により記録がしょえしつしており、 Cortébertについてはあまり知られていませんが、当時は高級ブランドと見なされていたそうです。トルコとイタリアの鉄道システム(イタリアではPerseoという名で販売)に供給される正確な鉄道時計で有名でした。
1890年代に時計職人Josef Pallweber が作成したジャンピングアワームーブメントを使用する権利を取得、世界初のジャンピングアワーウォッチを生産。(このムーブメントはIWCで有名になる)。Cortébertは、1920年代になり、ついにジャンプアワーウォッチを自ら生産しました。それはかつて、パネライの時計で使用されていたロレックス618ベースのムーブメントであった。
しかし残酷なもので、クォーツショックの犠牲者となったブランドの一つとなりました。辛うじて、Perseoという名前が残っている程度です。
Elgin
イリノイ州シカゴ郊外のエルジンに拠点を置き、1860年代に設立されたElgin National Watch Company は、アメリカでショップを設立した最初の時計メーカーの1つでした。 1800年代後半から1900年代初頭にかけて、その工場は世界最大の時計製造専用施設であり、100年にわたって約6,000万個の時計を製造していました。Elginは、交換可能な機械製部品を使用して大量生産方法を早期に採用することで、このような驚くべき生産数を達成することができました。
しかし第二次世界大戦が始まり、スイスの時計ブランドの隆盛に押され、1968年に倒産しました。
現在はアメリカ本国では生産されなくなり、商標権を買い取った日本の会社が興した「ジャパンエルジンコーポレーション」そして福本電機「エルジンインターナショナル」によって廉価だが高性能、多機能な腕時計として一定の評価を受けている。
Enicar
Enicarは、1914年にスイスのラ・ショー・ド・フォンで、Ariste Racine氏によって設立されました。名前の由来は、「創業者の”Racine“を逆さまに並べただけ」という、実は安易なネーミングです。主な出先であるロシアや中国などの東部の市場(非常に人気があった)に出荷されたため、比較的小さなな事業として始まったものが急速に成長しました。第二次世界大戦後、メーカーは資金を投じ、独自のムーブメントを開発し、非常に信頼性が高く手頃な価格の実用時計をリリース。
Enicarのピークは1950年代と60年代にやってきます。1954年、ヌーシャテル天文台のクロノメーター認定を受けて最初のムーブメントを製作。ほぼ同時期に、EnicarはダイバーSeapearl 600を登山者、特に1956年にローツェ山とエベレストの両方に登ったスイスの登山家のグループに供給しました。数年後、アメリカ海軍はSeapearlを採用。これは、パフォーマンスと低コストが魅力ということで、Rolex SubmarinerやBlancpain Fifty-Fathomsと比較してのことだったのでしょう。
Enicarは世界初のクォーツムーブメントの1つであるBeta21を開発するスイスの時計組合の一部であったにもかかわらず、70年代および80年代のいわゆるクオーツショックの最中に経営不振になりました。 1980年代後半頃に同社は破産し、香港を拠点とする時計および宝石会社であるWah Ming Hongに買収されました。現在でもEnicarは時計を製造していますが、その時計のほとんどがアジアンマーケットで販売されております。
Gruen
Elginのように、Gruenはかつて米国で最大の時計メーカーの1つでした。1870年代にドイツ生まれの時計職人 Dietrich Grünによってシンシナティに設立されました(後に名前をGruenに変更します)。 20世紀初頭にGruen Watch Companyになりました。スイスで独自のムーブメントを製造したアメリカの企業であることは注目に値しました同社はビエンヌにムーブメントの生産施設を維持していましたが、生産拠点はアメリカでした。
1953年、Gruen家は会社の所有権を売却し、1958年頃に会社は解散。米国の施設はオハイオ州からニューヨークに移転し、スイスの事業は最終的に1977年に閉鎖されました。
Lemania
1884年に設立されたLemaniaは、主に他の時計ブランドが使用するエボーシュムーブメントメーカーでした。当初からクロノグラフに特化し、そのノウハウにより、オメガ・スピードマスターで使用されていたキャリバー1873、シンプルなキャリバー5100は、Sinn、Tutima, Porsche Design、Omega の軍用時計の主力となりました。Lemaniaは主にムーブメントの製造を中心としておりましたが、20世紀に入り、Lemaniaブランドの時計が製造されました。
今回取り上げている多くのブランドと同様に、Lemaniaは1970年代のクォーツショックとともに衰退しました。80年代にNouvelle Lemaniaとして復活し、1999年にBreguetとともにスウォッチグループに買収されました。今日、Lemaniaの名前は使用されなくなりましたが、同社はまだBreguetとスウォッチグループのキャリバーを製造しています。 Lemaniaは、20世紀の同時代の時計ブランドと同様、コレクターに人気があります。一部のモデルは10万円以下で購入できますが、クロノグラフは、特に良好な状態なら高値で取引されております。
なかなか古い個体が多いですが、個性的なモデルも多いですね。前半戦はこれぐらいで終了です。また後半戦を!
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