NASA × スヌーピー × オメガ スピードマスター の話 前編

日本時間、2020年10月6日オメガより発表になった「スピードマスター “シルバー スヌーピー アワード” 50周年記念」は、各時計メディアで報じられ、ツイッターを始め多くのソーシャルメディアの時計界隈では大いに盛り上がりました。みんな好きだよね、スヌーピー。今まで興味なくったって、その日から好きになってもいいだよ、そんなの。好きになるって、そんなもんだよ。発表当日のタイムラインは、「スピードマスター “シルバー スヌーピー アワード” 50周年記念」で持ち切りで、さっそく予約を入れる人達多数。いやいや、落ち着いてくださいよ、私も予約するんだから・・・ということで、みんな早い遅いはあるでしょうが、手に入ることを心待ちにしていると思います。

さて、今回はこの「オメガ・スピードマスターとスヌーピー、そしてNASAの関係について」を2回に分けてお送りしたいと思います。ご存知の方も多いと思いますが、知らなかった方は、他の知らない方へ自慢しましょう。

まず初めに、NASA・スヌーピー・オメガの関係についてのお話です。

NASA × スヌーピー

1960年代は、アメリカソ連が宇宙開発を熾烈に行っていた真っただ中。多くの人工衛星を打ち上げ、月へ人間を送り込むという計画もこの頃には “” ではなくなりつつあった。これまで激しくこの両国が競い合っていたのは、当時、東西冷戦の時代。この宇宙技術の発展は、軍事技術の発展とイコールだった。そんな背景もあり、両国は次々に成果を上げていく。

1957年ソ連が世界発の人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げ成功を皮切りに、宇宙開発競争がはじまり、ソ連は多くの成果をあげていった。そんな中、1961年アメリカ航空宇宙局(NASA)は「アポロ計画」という人類初の月への有人宇宙飛行を計画する。この計画を発表したのが、ジョン・F・ケネディ大統領である。

人類初の月への有人飛行を発表した時の JFK

しかしそう簡単に計画が進むことはなかった。アポロ1号は、発射台上で発射の予行演習を行っていた際に発生した火災により、船長を含め3人が命を落とした。原因の究明など安全面のこともあり、この後20か月ほどアメリカの有人宇宙飛行計画は中断された。

そんな折、米国航空宇宙局(NASA)は、宇宙飛行の安全性を啓蒙するポスターに、「ピーナッツ」のキャラクターであるスヌーピーを使用する為、作者であるチャールズ・モンロー・シュルツ氏に依頼した。その背景には、アポロ1号の事故を始め数々の問題から、世界的に人気キャラクターであるスヌーピーを安全への番犬として採用し、モチベーション向上の一つと考えていた。作者のシュルツ氏は宇宙開発の支持者であり、NASAに「アストロノーツスヌーピー」の使用を無償で許可した。
ちなみに日本では「スヌーピー」というタイトルだと思われていることもあるが、本来は「ピーナッツ」というアニメタイトルで、主人公のピーナッツの飼い犬がスヌーピーである。

「ピーナッツ」の作者 チャールズ・モンロー・シュルツ氏

1969年5月に打ち上げられたアポロ10号は宇宙飛行士が月まで行って、アポロ宇宙船(司令船)月着陸船試験を行うことになった。この時の司令船には「チャーリー・ブラウン」と、月着陸船には「スヌーピー」というコードネームが着けられた。

この写真は、アポロ10号宇宙飛行士トーマス・スタッフォードが乗り込む直前にスヌーピーの鼻先にタッチしているところである。このアポロ10号4度目の有人宇宙飛行であり、アポロ11号のリハーサルという役目を担っていた。実はこの月着陸船(スヌーピー)には、司令船(チャーリー・ブラウン)へ戻るための燃料は当初より搭載されていなかった。あくまでも着陸するのはアポロ11号で、このアポロ10号で着陸を試みようとしたら、地球へ帰還できないように計画されていた。どんな宇宙飛行士でも目の前に月面があれば、着陸にチャレンジしたくなる。その考えをNASAは打ち消すために、十分な燃料を入れなかったと言われています。実際に当時の搭乗員は「もし十分な燃料が積まれていたら、月面に着陸したいという誘惑に勝てなかったかもしれない」と語っています。

1969年5月26日、「アポロ10号」は地球に帰還しました。そして約2か月後の1969年7月20日、「アポロ11」がついに人類初の月面着陸を果たすこととなった。

 

 

シルバー スヌーピー賞(Silver Snoopy Award)

シルバー・スヌーピー賞1968年、前述の安全性の啓蒙などの一環として創設。有人宇宙飛行の分野で大きく貢献した人に贈られるもので、純銀製アストロノーツスヌーピーの形をしたピンバッジが授与されることからその名がついているそうです。

 

オメガ × NASA

カーレースを計測するクロノグラフとして、初代スピードマスターが登場したのは1957年。そして1962年NASAは有人飛行計画の一つ、マーキュリー計画で「マーキュリー・アトラス8号」が宇宙へ飛び立った。その時、宇宙飛行士ウォルター・シラー(Walter M. Schirra Jr.)が視認性の良さから個人で選んだ時計がスピードマスターだった。もちろんNASAからの支給ではなく、個人の私物であった。

 

その後、NASA航空宇宙工学者であったジム・ラーガン1964年から宇宙飛行士が使うクロノグラフの選定実験をスタートさせる。その結果、

対応した10社のうち、NASAの求める条件を満たして環境テストに進んだのは、3社の腕時計だった。しかも、そのうち2社は最初の実験で脱落。ただひとつ、スピードマスターだけが最後の実験まで突破した。ランダムな振動と真空状態で故障しないかどうかが、分かれ目となった。

という。

スピードマスター1965年ジェミニ計画における宇宙飛行士の公式腕時計と認定され、その後は何度となく宇宙へ行くこととなった。そして1969年7月20日スピードマスター月面に着陸することとなった。

 

NASA × スヌーピー × オメガ スピードマスター

オメガ1970年NASAからシルバースヌーピー賞を受賞します。その理由は、「アポロ13号の事故」に由来します。この事故については、トム・ハンクス主演で映画化された「アポロ13」で描かれています。

簡単ではありますが説明しますと、ケネディ宇宙センターを発射後、地球から離れて32万km付近で月の引力圏に入ろうとした時、ヒューストンとの交信の音の中で爆発音が聞こえます。

Houston, we’ve had a problem.

アポロ13号内で、酸素タンクの爆発事故が発生。この事故により、乗組員が地球へ帰還することが困難になったのですが、この困難を最後は乗り越えます。その一翼を担ったのが、オメガ スピードマスターだったのです。コンピューターが故障してしまっていた中、軌道修正が必要であり、その修正には時間を測る必要がありました。その時間「14秒」をスピードマスターは正確に計測し、宇宙船の帰還に大きく貢献したということです。

この事故は、「最も成功した失敗」と呼ばれています。その差し迫った中、NASAは状況を包み隠すことなく、年齢・身分関係なく有益な意見を広く募り、ベストな選択を模索しこの危機を脱したのです。もちろん後の調査で、”ネジ一本” の整備での人為的ミスが原因ということがわかりましたが、その絶体絶命時の危機管理が優れていました。

オメガスピードマスターはこの功績から1970年スヌーピーアワードを受賞するに至りました。

 

というわけで、NASA・スヌーピー・オメガの関係をまとめてみました。次回は、そのオメガの記念モデルについて見ていきたいと思います。


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