トップミュージシャンから時計師になった男
息子にユーミンの良さを教えようとして、どんな人か画像検索で “ユーミン” を検索したらちょっと違う人がいて腹抱えて笑ったオサーンです。
清水ミチコさんがマネしているのはわかりますが、若井こずえさんが結構な確率で入ってて(笑)
私は小学生の時に “BON JOVI” を初めて聴いて衝撃を受け、それから洋楽にドップリのめり込みました。”GUNS ‘N’ ROSES” や “METALLICA” のライブにもアメリカで何度か行きましたし、大雨の中行われた野外ライブ “WOODSTOCK ’94” にも行きました。
ヘヴィメタルやハードロックが好きだった私は “ANTHRAX(アンスラックス)” というバンドも好きでした。このバンドは80年代~90年代を代表するヘビメタグループで大成功を収めました。一応現在も活動しているようです。ジャンルとしては、Thrash Metal(スラッシュメタル)という少しノイジーなサウンドを奏でます。
※ANTHRAX
この中のメンバーの一人であるギタリストのダン・スピッツは、90年代半ばでバンドを去ります。理由は家族を持った為だったそうです。人気アーティストは世界中へツアーを開催するので、「家族と共に過ごす時間がなくなるから」だそうだ。そして彼の目指した先は、なんと時計職人だったのです。彼の祖父が宝石商で、時計職人の家系だったというのもありますが、ここで彼は勉強をスタートさせます。
※ダン・スピッツ
まず地元ニューヨークにある “Bulova school of watchmaking in New York” という時計学校で4年間学びます。その後、”Wostep” というスイスの時計スクールで学び、時計師としての知識と技術を高めました。他にはロレックスの全キャリバーのディプロマ、ジャガー・ルクルトやオーデマ・ピゲのトレーニングスクールでの経験を積みます。普通の時計屋や修理工ではなく、ハイエンドブランドの時計師、および独立時計師への道を進んでいきます。修理に関わる時計は数百万から数千万円の時計。
「数えられないぐらいのパーツは電池で動いているわけではなく、しかも設計図もないものもある。そこからどこに不具合があるのかを見つけ出す。そんな時こそが至福の時だね、ロケンロー。」
その後は時計修理に従事し、ショパールの北アメリカ統括技術士(インストラクター)として、またスイスでも実績を積みます。
そしてとうとう作り上げた彼のムーブメント第一号。それは “Calibre J11.13” と名付けられ、3年という期間を費やし、時計のメッカである欧州に頼ることなく、自分のコンピューターで、自分の加工用機械で作られた完全米国製ムーブメント。
注文してから約半年を要するということで、早くても2020年末辺りか。30本ほど製作する予定ではあるが、彼一人で手作業で制作しているので、数年間は時計作りに没頭する必要がありそうです。
ダン曰く、「俺の作り出すムーブメントは、現存するムーブメントを一切ベースとしていないオリジナルだ、ロケンロー」。ロック魂を感じる。
また彼は作業スペースを拡張し、2人ほど雇ってトレーニングし任せられるぐらいの技術を要したら、年間15~20本ほど製造できるだろうと目論んでいる。また彼は、アメリカの時計製造技術を向上させる目的も持っているようです。
凄い人です、ダン・スピッツ。興味があれば、一度HP –danspitz.com– を覗いてみてはいかがでしょう?
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