ロレックス 知る人ぞ知る現代史 ー2つのロレックスー

恐縮です。偉そうに、「知る人ぞ知る」なんてタイトルにしてしまいましたが、「興味がある・ない」だけの問題です。そしてそのトピックとは、「ロレックスを名乗る会社が実は2つあった!」という話である。これはよくある、たまたま「同名の会社」というのではない。正真正銘”ROLEX“なのだ。まずはこちら。

こちらは「ロレックス・ジュネーブ」。ロレックス産みの親”ハンス・ウィルスドルフ”が創業した「ロレックスSA」であるが、彼のあふれ出るアイデアを持ってしても、ムーブメントを作製することができなかった。そんな彼はビエンヌの「エグラー社」にロレックス用のムーブメントの製造を依頼した。これにより、後にエグラー社が「ロレックス・ビエンヌ」へとなる。ということで、同じ”ロレックス”という名称を冠していても、両者は全くの別資本だったのである。これはスイスにロレックスが2社あったことを意味する。

こちらが「ロレックス・ビエンヌ」であり、ムーブメントの製造を行っていた。「ロレックス・ジュネーブ」の創業者”ハンス・ウィルスドルフ”と2代目社長の”アンドレ・ハイニガー”の時代は、両者の関係は良好であった。ビエンヌのエグラー家にしてみれば、ありがたい取引先であったに違いない。2代目社長の”アンドレ・ハイニガー”は、時計に対してのアイデアは持ち合わせる人間ではなかったらしいが、経営能力に長けていた。人の使い方が優れており、商品(時計)の品質管理にも非常に厳しかったそうである。そんなハイニガーは、優秀なマーケティングマネージャーを任命し、「ロレックス・ビエンヌ」に数々の傑作ムーブメントを製造させた。

アンドレ・ハイニガー / via rolexmagazine.com

1992年、アンドレ・ハイニガーは引退し、長男の”パトリック・ハイニガー”が継いだ。彼の構想は「ロレックス一大マニュファクチュール化」であった。彼は、ケースメーカー・ブレスレットメーカー・リューズメーカー・ダイヤルメーカーの買収に成功し、目指すは「エグラー家」の所有する「ロレックス・ビエンヌ」であった。この”もう一つのロレックス”を手に入れようと考えるようになった。

パトリック ハイニガー via New York Post

このジャレ合っている写真は、キャバクラではなくれっきとした彼の奥さんとの2ショットです。親父とは同じ笑顔でも「質」が違いますが、写真のチョイスの問題なだけで、息子は女好きの無能ではありません。

買収の理由は様々あるだろう。ただ、一番の理由は「ビエンヌの経営権が他社に移るのが嫌だった」ということであろう。ジュネーブビエンヌとの関係も次第に悪化していったと言われたが、パトリックは両社の統合に必死になり、「ロレックスSA]はビエンヌの株式を取得、2004年2月に統合に成功する。
その統合がまたしても大きな変化をもたらした。それは、ロレックスの新しい幕開けであり、新製品ラッシュとなって現れた。”ヨットマスターⅡ”や”スカイドゥエラー”などの複雑なムーブメントのモデルは、統合無くしては誕生しなかったであろう。

しかし2008年にパトリックロレックスのCEOを辞任した。世界を襲った”リーマンショック”の影響がそうさせたのだろう。数々の悪い噂があるが、買収額を早期に返済可能と試算していた彼に”リーマンショック”が襲い掛かり、先が見えなくなってしまった責任を取ったと言われている。決して浅黒い女と連日連夜、パーティーで金を費やしたわけではなさそうである。

その後、ブルーノ・メイヤーがCEOに就任。財務部門のエキスパートである彼が2009年に立て直しを図り、2年後の2011年にジャン=リカルド・マリーニがCEOに就任した。この2人がロレックスを立て直したかのように思えるのだが、オサーンが思うに、強引にでもロレックスを統合し、新たなムーブメントを次々に開発させたその功績こそが、今のロレックスを作ったのではないかと思う。


今回は、「実はロレックス社がスイスには2社あった」という時計とは少し離れたお話でした。創業から安定して、コツコツと伸びてきたブランドのように思えますが、やはり大きな転換期があったんですね。